人気ブログランキング | 話題のタグを見る

小説「ニシノユキヒコの恋と冒険」 川上弘美

とめどない世の中に、しょうもない男の物語。でも切ない。

ニシノユキヒコ(西野幸彦)という男の、中学生から50代までの恋愛遍歴を、
彼と濃密なひととき(直截的な意味ではない)を過ごした10人の女性の視点から。
連作短編集ということになるのか。

「恋と冒険」とはいうものの、ニシノくんは日常のなかで普通に恋愛するだけで、
一見、別に冒険はしない。びっくりするような奇抜な事件は、全然起こらない。
ただ彼女たちはニシノくんと出会い、恋愛的な状況に陥り、やがて離れていく。
その繰り返し。いちおうニシノくんは真実の愛を探してるらしいので、それが冒険か。

そんな話のどこがおもしろいのかというと、
一番おもしろいのは、言葉の扱われ方かもしれない。
意図的に多用されるひらがな表示と、やや硬い文語的な言い回しの絶妙なバランス。
軽妙な詩のような文体に油断していると、時たま、チクリ、またはグサリと刺し込まれる。
痛いんだけど、その痛みは甘い。ヤバイ(笑)。
洗って磨いた人工の砂浜で、さらさらと砂遊びをしていると、
時々光る石やきれいな貝殻が埋まっているのを見つけるような。
・・とでも言えば、自分の感覚としては近いんですが。

10人の女の人たちは、バリエーションに富んでいるようにもみえるが、
みんな、賢くて理性的で誇り高い、似通った部分があるように思う。
彼女たちの多くはニシノくんの「滑らかに上の空」な本質を見抜くし、
「真摯に向き合ってくれていない」「愛されていない」ことに気づくと、
自分の気持ちに折り合いをつけて、離れていく。
女性関係のお盛んな人なら特に、こんなきれいな別れ方ばかりってわけにはいくまい。
どんなに惨めでもみっともなくても、間違っていても、
褪せた恋愛にしがみつく女の人は数知れない。
でも、そういう傾向の人は、そもそも恋愛関係になるほどはニシノくんに近寄れないのか。
ある程度の自制心を持った潔い女性だけが、ある意味贅沢な思い出を手にできる。

彼女たちの中で、特に印象に残ったのは、まずはマナミさん。
この人の賢さは群を抜いてる。警戒しすぎだけど。彼女の話は、ひとつの柱だと思う。
その後のエリ子さんや、名前忘れたけど作家の彼女なんかは、このバリエに見える。
でもエリ子さんも好き。猫がいなくなって寂しい彼女が好き。

「草の中で」の、中学生の彼女も好き。
ニシノくんに流されることなく、彼という人と、自分に起こった出来事の本質を正確に捉えて、
その上で、「自己」と「他者」の概念を把握してBFに向き合おうと決める彼女は鮮やか。

それから別の意味で、ササキサユリさん。好みで言えば、この人が一番好き。
このとき37歳ののニシノくんより10歳以上年上で、50代で孫もいて、
何十年もきちんと専業主婦をしていて、人目に立つようなことはないけど、
主張しないけど誇り高く、ユーモアがあって視点が鋭くて感性も豊か。
だからニシノくんにかかわることになった。と、思う。
ほかの女性と違ってわかりやすい恋愛関係にはならないけど、
やっぱり恋だったと思う。ただ電話で話すだけでも。最後まで受身でも。
3ヶ月苦しんだ末の「ニシノくん、さよなら」にはどっかがグサリと穿たれた。
私も10年経ったらマリモを買おうか。忘れていなければ。

彼女たち全てにとって、ニシノくんは「運命の人」だったなと思う。
それはもちろん、一生にただひとりのベターハーフ的な運命じゃなくて、
それぞれの人生に、とても大きな影響と刻印を残す、いくつかのポイントのひとつ。
ニシノくんは不実で身勝手でしょうもないヤツなのも確かなので、
彼に好意的になれるかどうかが、この本の評価の別れ道かも。
そして私は、サユリさんのようにニシノくんに会いたいなーと、
ちょっとヒソカに考えてみるわけです。とりとめもなく。
by michiko0604 | 2008-05-03 00:11 | | Trackback