小説「地下鉄に乗って」 浅田次郎

備忘として。映画と併せた感想。
ごめんなさい否定的なんで、お好きな方は読まないでください。

地下鉄に乗っていろんな時代にタイムスリップし、
断絶していた父親に対して理解を深めていく。
クサイとかありえないとか、なんだこのご都合主義、とか思いながらも、
過酷な時代を生きて歪んだらしき父親と主人公の物語には、共感できた。
「アムール」は魅力的だったし、映画の大沢たかおも堤真一もまずまずでした。

でもこれ、結局メインテーマは恋愛なんですね。
キリッとして見えた原作より、可憐で儚げな映画のみち子は悪くなかった。
でも、彼女と主人公の真次の出会いに、必然性がないのはどうなんだ。
たまたま同じ会社に入って不倫関係になる相手が、
自分の妹である可能性って、どんだけ天文学的小数点なんだ。
不倫相手を選んで、何一つ落ち度のない妻子を捨てようと考える真次に、
まったく感情移入できません。

そして、物語のオチであるらしい、最後のみち子の行動に唖然。
生きて別れろ。そして生き続けろ。死にたいなら現代で死ね。
自分ひとりの責任で死ね。母親の人生に干渉する権利あるのか。
あの階段落ちのシーン、私はみち子よりも母親のお時に強く感情移入してしまった。
どんな理由があっても、たとえ子ども本人の意向だとしてさえも、
臨月の妊婦に対するあの仕打ちが許しがたい。感傷の入る余地がない。
「おとなしそうな顔して、なんてことするんだこの娘!!」という、驚きと憤慨でMAX。

途中から見た映画だったから、原作を読めばこの怒涛の疑問が解決するかと思ったが、
納得できたとは言い切れない。それまでの自分の人生を全否定する人を、
理解することはとうとうできなかった。

映画で納得できなくて、小説を読んでわかった、という部分もないではない。
一番大きかったのは、ラストシーン。
あれだけ悲しい別れを経た後で、何ごともなかったかのように、
子どもとキャッチボールして終わる真次の神経がほんとわかんなかったけど、
ああしてみち子が自分の存在を生まれる前から消してしまったために、
記憶がどんどん薄れて、みち子を忘れてしまった結果だったんですね。
みち子の残した指輪を見て、怪訝な顔をするのがその描写だったのか。
その部分を、切ないと思わなくちゃいけなかったんだな。

先に原作を読んで、それから映画を見たのであれば、
もっと別の感想になったかも知れません。ちょっと残念な出会いとなってしまいました。
[PR]
トラックバックURL : http://nazuna44.exblog.jp/tb/8119051
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by michiko0604 | 2008-06-18 01:22 | | Trackback | Comments(0)