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「あの日」 小保方晴子

GW中に読んだ本。

職場の人に「おもしろかったから」と無理やり貸された。
読まなくてもいいから、感想聞いたりしないから是非、と。なんでそこまで推すのか。
それは冬のことでしたが、私はなかなか興味が湧かなくて長らく放置。
さすがにそろそろ返そうと思い、GWに仕方なく読む。

思いのほか面白かった。読み物として充分に。
新しいこと、知りたかったことを少し知れたし、不覚にも響く部分もあった。


前半は、生命科学に興味を持った、ちょっと不思議なかわいい女の子が、
勉強したりがんばったりひらめいたり、サボったりしくじったり浮いちゃったり。
それでも夢と希望に満ちて大学に進み院に進み、だんだんステップアップして、
道が開けて、アイデアと研究が偉い学者の目に留まり、協力してもらい、
権威ある雑誌に認められて、世紀の大発見としてまばゆいスポットライトが当たるまで。
サクセスストーリーとして、ふつうに楽しく読めました。

最初の発表の前の夜、替え玉付きでラーメンを食べたので、
会見の時は顔がパンパンでテカテカだった、なんて描写もつい笑っちゃった。
確かに、あの時はめっちゃツヤツヤしてたなぁ、と思い出して。

だがしかし、研究の説明でさらっと触れられる、
背中に人間の耳が生えた「バカンティマウス」には衝撃。怖すぎ。
何もなかったところに細胞を植えて、育てて何かをつくりだす・・
というのが、つまりES細胞とかiPS細胞の基本のはじまりなんだろうから、
それが出来たのはスゴイことであって大成功で大拍手なんだろう・・けど・・
一般人にとっては、なんかすごいマッドでホラーな感じで、ドクター何とかの島みたいで、
背筋が凍りました・・。めっちゃ怖いです。
いや・・批判じゃないですけど。仕方ないことですけど。ありがたいことなのだと思いますけど。
自分らが肉を食うために、どこかで屠殺が行われているのと同じように。

小保方さんが実験の仕方を少し変えて、マウスに致命傷を与えずに細胞を切りとることに成功し、
「生きてね」と両手で包んでお願いした、というような場面で、(うろ覚えだが)
欺瞞だ気休めだ、どのみちマウスは苦しみ、やがて死ぬ・・とも思い、
それでもなお、少し胸を打たれたり。
いや、感傷的な話じゃなく、マウスが生きることで、続けられる実験がある、ということなんだけど。

研究が人の目を引き始めて評価があがるにつれ、いろんな人の手が加わり、
少しずつ自分の手を離れ、やりたかったことと違っていってしまう不安と不穏も上手に書かれていた。
その後の突然の大転落と悲劇は、多くの人が知っているとおりのこと。

後半は、地獄のような日々のリアルで詳細な血を吐く叫び。

あのように時の人となり、世間の耳目と異常な大バッシングを受けた人の苦しみが、
まことに生々しく痛ましく、読み手を引きずり込む切実さで訴えかけてきます。
あまりにも気の毒で「かわいそうに」と思わざるを得ないし、ヒドイなと沁みるし、
大しておぼちゃん自身には興味なかったのに、感情移入してちょっと涙目になっちった。
けっこうこれは、人を動かす力のある危ない本ですね。

私が一番知りたいと思っていたこと、「STAP細胞はあるのかないのか」についても、
少しだけ新しい情報があり、それで私は半分くらいは納得しました。
今でも彼女が「STAP細胞はある」と信じているのであろうことにも合点が行った。

立派な学者さんたちの検証実験で「細胞はない」という最終結論になっていましたが、
それは何ていうか「このレシピでケーキができなかったから、この新発見の粉は使えない」
みたいなことだったのかな?と思った。
小保方さんが発見したのは新しい粉であって、それはまだ「ケーキが出来る可能性」でしかなかった。
若山先生だけが「自分はこの粉を使ってケーキが作れた」と発表し、
でもそれが成功したのは若山先生しか持っていない特別な砂糖を使ったからであって、
再現実験にはその砂糖は貸さない、だからケーキはできなくても当然。事実できなかった。
だから粉も全否定された。
だいたいこんな成り行きだった、と彼女は言いたいのかもしれない。
世間はSTAP細胞を「ケーキ」と定義しているが、自分は「粉」だと思ってる。
だから、ケーキができなかったからと言って、新発見は否定されない。

がんばって庶民の頭で理解しようとしたのでこんな駄例になってしまったが、
自分としてはこんな感じで、小保方さんの気持ちが、前ほど理解不能ではなくなった。
STAP細胞は、もしかしたらあるかもしれない。ひとつの小さな可能性として。
証明はできていないが。勘違いかもしれないが。

若山先生が功を焦ってスタンドプレイをしたあげくに責任を逃れてバックレたのか、
反対に、メンヘラビッチに騙されて巻き添えを食らい、傷を負いつつも良心で告発したのか、
どっちに感情移入するかで景色は真逆になる。騙し絵みたい。


笹井先生のこと。彼が痛ましい自死をされたとき、
「生きて検証してほしかった」と私もどこかで書いたけれども、
それはほんと、遠い外野の無責任な無茶振りだったのだな、とわかりました。

笹井先生は、研究の中心に居たわけではなく、突出したセンスのデザイナーだったんですね。
おしゃれなコーディネートをしてあげただけだった。
それなのにあんな風に石で打たれて理不尽な屈辱にまみれて、逃げることはできず、
なんとか石つぶてを避けつつ事態を収束させようとして、限界を超えて病んでいったんですね・・。
輝かしい才能をお持ちだったのに、ほんとうにお気の毒だし、もったいないことだった。
なんでこうなってしまったんだろうか。

もちろん、この本をそのまま信じるわけではないですけど、興味深い内容だったし、
反論を封じられてきた彼女の「言い訳」と「不満」を、どんな形でも聞けたのはよかった。
今まで一方的過ぎた。そこまで悪いことしたのか?何をしたというのか?
とは、当時から疑問だった。

都合のいいことしか書いてない、疑問に答えてない、読者をミスリードしている・・
虚言癖のサイコである、精神疾患系案件である、というような意見もあるでしょう。
そこはわからない。実はそうなのかもしれません。

でも、そうだとしてさえも、あんな目にあって当然、ということではないでしょう。

名指しで批判されてる人もいるので、反論があるのか、
それとももう延焼を恐れて黙殺になるのか、
STAP細胞はタブーとして葬られてしまうのか。
まぁ、それならそれで仕方ないです。若返りも不死も、私は望んでいません。

ただ、世論の無責任な悪意と祭りはほんとうにクソだな、ということはわかりました。

意外なことに、読んで損のない本でした。
流行りというだけで却って引いてしまっていたので、偏見でした。
同僚には感謝したいと思います。

by michiko0604 | 2016-05-15 22:32 | | Trackback